【流産・妊活体験記】心が壊れそうだった私の9か月の記録【前編】

妊活

このカテゴリでは、私が経験した流産のことや、そこから妊娠に至るまでの日々を、少しずつ記していきたいと思います。 ご自身が同じような状況にいらっしゃる方にとって、読むことがつらく感じられる場面もあるかもしれません。 どうか、ご無理のない範囲でお読みいただけたらと思います。

最初の妊娠と、突然の流産

はじめて妊娠がわかったとき、陽性判定が出た妊娠検査薬を夫に見せて、二人で抱き合ったのを覚えています。これまでにないほどの幸福感に満たされて、未来が希望でいっぱいになりました。

その後かかりつけ医で、胎嚢が確認され、「おなかの中に命がいるんだ」と、あんまり実感は持てていなかったけど、とっても幸せで不思議な気持ちになりました。気が早すぎるけど、予定日はいつくらいになりそうかとか、産休はいつから入るのかとか、ネットで調べたりして、これから来る未来にわくわくと妄想を膨らませていました。


でも、その未来は、思ったよりもずっと早く、目の前から消えてしまいました。
胎嚢を確認した2日後のことでした。

茶色いおりものが目立つようになりました。
ネットで調べると、「鮮血でなければ大丈夫」「残っていた血液が出ているだけ」「着床出血の残り」などと書いてあったので、気にはなるけど、それほど気にせずに過ごしていました。

しかし翌日も、その次の日も、増えるばかり。検索魔になって「妊娠初期 茶おり」とネット、SNS……らゆる手段で検索しまくると、「流産」という文字が。正直、嫌な予感しかありませんでした。冷静に考えて、「絶対流産じゃん」と思いつつも、心のどこかで根拠もなく「自分は大丈夫」と言い聞かせていました。

そんなうちに、トイレの際、ティッシュに鮮血が少しだけつくようになりました。初めて鮮血を目にしたときは、見なかったことにしてそのまま流し、もう一度わざと軽くティッシュをあててみて、「ほら、大丈夫」と自分に言い聞かせたことをよく覚えています。

時間が経つにつれ、ティッシュにつく血の量が増えていきました。
それでもまだ、ネット検索で出てきた「着床出血」「絨毛膜下血腫」というパターンを信じていました。信じようとしてたのだと思います。

その日は、明るい未来を信じて、眠りにつきました。
念のため大きめなナプキンをつけて。(冷静な自分もいたんですね)


「あ、だめだ」

翌朝、起きた瞬間、涙があふれてきました。下半身の違和感。ムレ。
トイレで確認せずとも、もうわかりました。生理二日目のような大量の出血と腹痛・腰痛。

それでも現実と向き合いたくなくて、なかなかトイレに行けず、ベッドから起き上がれませんでした。受け入れがたい現実。人間は固まるんですね。ただ涙がぽろぽろ流れるばかり。

少ししてトイレに行って、やっぱりだめでした。
かかりつけ医に電話をして、診察が始まるまで家で待機することに。


すると……

突然下腹部に激痛が走りました。(生理痛のひどい感じ)
ベッドに横になって落ち着くのを待っていると……

「ドロッ」

「……あ、なんか出た」

いままでに感じたことのない違和感。
「何か」が出てきた感じ。潰しちゃいけないことだけはわかりました。
寝返りもうてずに、そのまま硬直して、号泣しました。
ちょうど夫がいたので、夫がそばにいて、背中をさすってくれたのが本当に心強かった……


気持ちが落ち着いてから、意を決してトイレに行きました。
おそるおそる下着をおろすと、内臓のような「何か」がナプキンの上に乗っていました。

「……怖い」

なぜか恐怖心でいっぱいになり、涙があふれ、心臓がばくばくしました。

そのままの状態で、すぐにかかりつけ医に連絡。
「ビニール袋に入れて持ってきてください」と指示を受け、その通りにして病院に向かいました。

時間が止まったような毎日と、心から笑えなかった9か月

それからの日々は、まるで時が止まったようなものでした。心から笑うことも、うれしいと思うことも、ごはんを美味しいと感じることも、すっかり分からなくなってしまって。

SNSで知人や芸能人の妊娠・出産報告を目にするたび、心がざわついて。出産を控える人に心から「おめでとう」が言えなかったり、子育ての話になると席を外してしまったり。そんな自分に自己嫌悪の日々でした。


一番覚えているのは、高校時代から仲の良い友人に、出産の報告をもらったときのことです。
本当ならすぐにでも「おめでとう!」と返したいはずなのに、手が止まってしまって、気づけば母にLINEしていました。

「今は心から言えないことは仕方がないこと。意地悪ではないよ。でも、たった5文字を打つだけで気持ちが楽になるかも」

「されど5文字」と思っていたけど、「たった5文字」か。今は気持ちが追いついていなくても、いつかその5文字に気持ちがついてくるかもしれない。返さなかったことをあとで後悔する気がして、思い切って「おめでとう」と送りました。

今思えば、あの5文字は“誰かのため”じゃなく、“自分を守るため”だったのかもしれません。
(本当に送ってよかった!自分が嫌なやつにならずに済んだ!落ちるところまで落ちなかった!)


この5文字を乗り越えたあとも、なかなかメンタルは安定しませんでした。
突然、ふいに涙が出てくることも。いつから産休に入るとか、いつごろが出産日かとか、気の早い未来予想していたことで、仕事にも力が入りませんでした。時間が過ぎていく怖さもありました。

いったん緩んだ気持ちをまた立て直して、仕事に打ち込むって、かなりパワーが要りますよね。
私にはそのパワーがありませんでした。何をしてても、ぼけーっとして、涙が出て。

でも、周りにはそんなこと関係ありません。何事もなく日常が過ぎていくだけです。

そのうち最大の仲間である夫に対してさえも、敵意を感じ、「私だけが悲しい」 と孤独感でいっぱいになりました。夫とふたりの子どもなのに。

「この悲しみを理解してくれる人は、どこにもいない」
いつしか、そう思い込み、ふさぎ込むようになっていきました。(夫には八つ当たりも)

さらに流産経験をネットで検索して、いろんな人の体験談に気持ちが左右されることもありました。
人それぞれ状況が異なるのに、中でも特に状況が芳しくないものをあえて選んで読んで、それを自分の未来に勝手に重ねて、必要以上に怖くなる……そんな繰り返し。医師からそう診断されたわけでも、そういう所見があるわけでも、実際に起こったわけでもないのに。
まだ来てもいない未来に怖がって、八方塞がりでした。


そんな私の姿を見て、夫に勧められたことが2つありました。

  • 気持ちをノートに書き出すこと(必ず手書き!)
  • メンタルケアを受けること

ノートに書き出すのはなかなか腰が重かったけど、やってみたら、効果テキメン!
ぐるぐる頭の中で考えて、どんどんマイナス思考に陥っていたことが、実際に手でペンを持って紙に書いてみると、考えるスピードに書くスピードが追い付かず、だんだんめんどくさく、くだらないことに思えてきます。自分の考えを客観的に見ることができて、起きていることとまだ起きてない不確定なことを分けて考えることもできるようになりました。

さらによかったのは、自分がどういう思考パターンの人間なのかを改めて実感することができたこと。
これがわかると、日常の中で、マイナス思考に陥りそうなときに、「だめよだめ!」と自分を戒めることができるんですね。


自治体が行っている「グリーフケア」(死別や離別をはじめ身近な人や大切なものをなくしたなど、さまざまな喪失に関する相談のこと)や、「ピアサポート」(経験者による心のケア)、通っていたクリニックのメンタルケアにも行きました。

特によかったのは、「ピアサポート」でした。
同じ経験をしている人に、自分のマイナスな思いを肯定してもらうことができ、
自分のことを許してあげられる気がして、心がとても軽くなりました。


これが、心が壊れそうだった私の9か月の記録です。
もし今、同じような状況にいる方がいたら、「あなただけじゃない」と伝えたくて、この記事を書きました。

次回は、流産を経験したあと、私たちがどのように妊活を再開したか。
タイミング法、人工授精、そして妊娠がわかるまでの日々を記していきたいと思います。

【後編はこちら▶︎【流産・妊活体験記】タイミング法・人工授精で妊娠するまで【後編】

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